声に出さないけど思っていること

ステンドグラス探求|02

ステンドグラスの模写を始めて、すでに7週間ほど経った。

時間が経つのは実に早い。

現在カタチになっている5枚と、描きながら気付いたことや、偶然とは思えない可能性について書きたいと思う。

 

その前に

ノートルダムの見取図がこちら。

入口は右下で、逆さのU字型をなぞるようにステンドグラスがぐるりと設計されている。少し斜めになっているようだ。

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「NOTRE-DAME DE PARIS Le vetrate」©Associátion Maurice de Sully より

超余談)館内のグッズショップにてガイドブックを購入。「フランス語はまったくわからないけどノートルダムをもっと知りたい」と思ってのこと。購入直前、店員さんに「これイタリア語しかないけどダイジョブ?」と聞かれ驚いた。どちらにせよわからないので問題はないが、なぜ母語のガイドブックがないのか。不思議で仕方ない。A5サイズ/20ページ4ユーロ。

 

その前に②

模写の手順は、

・撮った写真から矩形の比率や図形の位置を求める

・1マス5mmの紙に描く

以上。実際の写真(左)と、それを見ながら描いたもの(右)。

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この模写では、縦長の窓の部分だけを取り出している。01の投稿でも触れた、窓上部のアスタリスク(*)のような花型模様の造形にも興味があるけれど、まずは大きな面積を占めている連続のパターンから解読することにした。

ちなみに、植物的な曲線は今回の模写の範囲外とし、もっとも単純な幾何学模様だけを取り出した。まずは基礎的な構成を知る。もちろん、いずれはやりたい。

 

5枚の模写で気付いたこと

これがその5枚。見やすいように上部だけ。

南側の入口に近い方から、S-1、S-2、…と呼んでいる。

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気付いたこと。

・上部のとんがり帽子は窓によって形が異なり、

 S-1とS-2、S-3とS-5の形が類似している。

 →制作者がちがう?

・写真で見るステンドグラスの透過度が明らかに異なる

 →修復時期がちがう?

・S-4だけ曲線のみで構成されている

・S-1だけ星芒形がある(曲線の星のような形)

・S-1だけとんがり帽子の中心に花型模様がない

・S-5だけ花型模様が三種類もある(他は0〜1種類)

・S-1、S-3のひし形は次の段に直線上に続くのに対し、

 S-5のひし形は段ごとに線が途切れている

 

造形についての気付きは多いが、上記の疑問を解決する策はまだない。

けれど、制作者や修復時期による造形への影響は少なからずあるように思う。

 

偶然とは思えないこと

書き留めて置きたいことがもう2つある。 

 ・ひし形を構成している直角三角形の三辺の比が、

 「3:4:5」に近い気がする

・図形が描かれている、枠縁に囲まれた長方形の辺の比が、

 「5:8黄金比」に近い気がする

 

私がそう思いたいだけかもしれないし、パースの狂った写真からの模写では正確な比率は分かりかねるが、もし上記の仮説が正しければ、それぞれの線や図形がなぜそこに位置するかということを説明できるようになる。

 

それはとても美しいことだと感じる。

 

これから

ノートルダム寺院の中で、幾何学模様を用いた ステンドグラスは全部で30枚。5枚目が終わったと喜んでも、まだまだ月曜日である。

 

これからやりたいこと。

その1:模写を30枚完成させる

その2:アスタリスク(*)花型模様に着手

その3:那須ステンドグラス美術館に行く

 

次にパリに行くときは、ノートルダム寺院やステンドグラスのことをもっと知っていたい。

模写が進み、「気付き」が増えた頃に03を投稿する。

 

ステンドグラス探求|01

パリにて

今年の5月、7日間のヨーロッパ旅行のうち3日をパリで過ごした。

目的はオランジュリー美術館だったが、それは初日に無事達成。

翌日、何気なく足を運んだノートルダム寺院(Cathédrale Notre-Dame de Paris)のステンドグラスを見た時、私の五感と全神経が音を立ててこれを「美しい」と感動したがっていた。

 

「日本に帰ったら、ノートルダム寺院の30枚以上のステンドグラスを模写しながら、その美しさを考察する」と決断した。

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最初の衝撃

きっかけは、ノートルダム寺院の北側の道路を通った時。大きな窓が連なっていて、とんがり帽子の先端の円の中に花型模様が描かれていた。

初めは、アスタリスク(*)のような6枚花弁の形の花に目がいく。しばらくして、別の形の花弁があることに気付いた。さらに、一番奥には花弁すらない。

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わかりにくい気がするので、説明画像を作ってみた。

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「6」や「4」だけでなく、「7」を基にした形があることにも驚きを隠せない。「7」は左右対称(線対称)ではあるけれど、ぐるりと半周回転させたときに重なる「点対称」の性質はないからだ。

点対称を重んじる(と勝手に思っていた)建物の装飾に、突如「7」の登場。

ジャズ音楽を気持ちよく聴いているところに、フラメンコの情熱と汗が飛び跳ねてきたような衝撃だった。

 

ともかく、私はこの中に入らなくてはいけない、と思った。

 

次の衝撃

実は、中に入るまで、先述の窓の内側にステンドグラスが施されているとは考えもしなかった。まして、こんなに壮大な(そして有名な)ステンドグラスがあることも当然知らなかった。

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大きな円の両隅に、ふたつの花形模様がある。が、よく見るとそれらは内側に少しだけ傾いている。

 

「ありえない」と正直思った。「シンメトリーが好きなんじゃないのか!」とひとり勝手に憤慨した。周りの人の視線をたくさん感じたので、多分憤慨中の声も漏れてしまっていたと思う。

 

さて

時間をかけてノートルダム寺院の中を一周したのち、「冷静になろう」と努めた。

出口手前のスペースで、撮りためたステンドグラスの写真を眺める。

ざっくり分けて、2種類のステンドグラスがあった。

図形などの幾何学模様(左)と、人物・植物などの具象物を描いたもの(右)。

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見れば見るほど、幾何学模様のほうに心が惹かれていった。

もともと図形が好きなせいもあるが、モチーフそのものに意味がある具象物よりも、形の精微さに美しさを見出そうとすることに興味を持った。

 

そういう訳で、幾何学模様のステンドグラスの模写を始めることにする。

この投稿はその奮闘記である。

 

ステンドグラス探求|02 に続く。

 

次の「素数の日」はいつだ

今日は、「素数の日」について書きたい。前回の「完全数の日」同様、ここに書いている「◯◯の日」というのは、私が好きなように数とカレンダーを結びつけてストックしているものである。

 

最終的には、カレンダーのすべての日にちに特別な数を結わえたいなと思う。

 

さて

素数を知ったのがいつだったかは思い出せない。学校で習ったのかもしれないけれど、「偶数」「奇数」のような呼び分けとは違い、生活の中の数字をわざわざ「素数」と区別する必要がないのだろう。使わないものから忘れていく。

 

それがいつの間にか、素数を見つけると宝石を発見したような気分になるようになった。

車のナンバープレート、Suicaのチャージ残金、すれ違う少年のTシャツ、カフェでコーヒーを待つ番号、生活をしていると毎日どこかに素数を見る。

 

素数は、「1」と「その数」の掛け算でしか表せない数のこと。1は含まずに、2、3、5、…と続いていく。素数の詳細はここに

  

素数」の魅力

古代から多くの人々が素数に惹かれているけれど、魅力を感じる理由はそれぞれ違うと思う。

私にとっての素数の魅力は、

・どの数が素数になるか予測ができない のに、

・永遠に存在することが証明されている というところ。

 

永遠に続くことが約束されている「素数の日」には、自分がずっと続けていたいと思うことをする。

何か特別なことをする訳ではない。 ドラムを叩いたり、会いたい人に会ったり、何度も見た好きな映画を見たりして過ごすのが幸せだ。その幸せを過ごす日に名前をつけたいのだ。

 

素数の日」とは

カレンダーにある数字のうち、「月」も「日」も素数になる日をそう呼んでいる。

私が考える「素数の日」には、3種類ある。

1、「月」「日」が素数の日

2、「月」「日」「月日」が素数の日

3、「月」「日」「月日」「年月日」が素数の日

 

2017年のカレンダーを使って「素数の日リスト」を作ってみた。

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1、「月」「日」が素数の日(毎年55回)

月 … 2、3、5、7、11(1年に5回)
日 … 2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31(1年に11回)

 

2、「月」「日」「月日」が素数の日(毎年14回)

2月11日、2月23日

3月7日、3月11日、3月13日、3月17日、3月31日

5月3日、5月23日

7月19日

11月3日、11月17日、11月23日、11月29日

 

3、「月」「日」「月日」「年月日」が素数の日

2017年2月23日(20,170,223)

2017年3月31日(20,170,331)

 

1と2は毎年訪れる「素数の日」であり、3はその年の西暦によって日にちが異なる。3の「素数の日」が最も特別だと思う。

 

残念ながら

上記の通り、今年の分の8桁の「素数の日」は終わってしまった。今年の西暦「2,017」も素数なので、2月23日と3月31日はとても特別な素数の日であろう。

ちなみに、当日の日記を確認したら、温かい春の雨に喜びを感じたり、友人のライブを楽しんだりしていた。

 

今年が終わると、次に西暦が素数になるのは2027年。10年後までお預けなので、毎年訪れるほうの「素数の日」を大事に過ごしたい。

 

まとめ

・「素数の日」は毎年14回ある

・永遠に続く「素数」に便乗し、自分がずっと続けたいと思うことをする日

 

次の素数の日は、7月19日(水)。この日は、このブログを更新しようと思う。

 

「素数」の約束

素数」について書きたいことがたくさんある。ありすぎてまとまらない。けれどストックしたいから、分割しながらテンポ良く書き進めたいと思う。 

 

素数」とは何か

全ての整数は、掛け算の形で書き表すことができる。

たとえば「12」と「35」について考える。

12=2×2×3

35=5×7

それぞれ、もとの数より小さい数の掛け算で表せる。

 

ところが、そうでない数字もある。

たとえば、「13」と「37」について考える。

13=1×13

37=1×37

これらは「1」と「もとの数」の掛け算でしか表せない。

これが「素数」である。素数が神秘的かつ魅力的な理由は、ふたつあると思う。

 

素数」は予測できない

2、3、5、…と素数を見つけていく。初めは順調である。二桁くらいまでは確認することもできなくはない。

それでも、九九にない数字はやや難しい。「91」は、一見すると素数に見えるが、「91=7×13」であり、素数ではない。

 

三桁の数に突入すると、101、103、107、109と「四つ子素数」と呼ばれる連続の素数が私を興奮させたかと思えば、113の後は127まで沈黙が続いたりもする。

 

どの数が「素数」になるかを求める法則がないのだ。

 

今はコンピュータで想像もできないほどの大きさの素数が見つかっているが、昔はもちろん手で計算されていた。計算しては「素数一覧表」なるものが出回り、それをみた数学者または村人(数字愛好家)が表の誤りを指摘する、という光景があったのだろう。

A:「つ、ついに素数表ができた」

B:「ここに10,403とあるが、これは101×103で表せるではないか」

A:「ひえぇ」

 

そんな、大きくなるほど発見が難しい「素数」との、唯一の約束が次である。

 

素数」は永遠に存在する

素数」は永遠に存在する。

発見が予測できないのに、無限に発見されることは2500年以上も前から約束されている。そして、その証明は文庫本1ページ分くらいの紙に収まる文量である。なんとシンプル。

 

まとめ

素数は「1」と「その数」の掛け算でしか表せない数のこと

素数は「予測できない」が、「永遠に存在すること」は約束されている

 

これから素数のことについて書くとき、毎回この記事を一番上に載せよう。

次は、「素数の日」について。

 

6月28日は「完全数の日」

ブログを始めた。

好きなものがあふれてきて自分の中に収まりきらなくなったので、ここにストックしていきたい。自己紹介的なものはこちら

 

「誰かに見てもらうことを前提にするのではなく、」と言いながらしっかり人の目を意識した文章になってしまっている。ストックするという考え方にシフトしたことで文章が書きやすくなったものの、書いたからには読んでもらいたい。読んでもらうためにはひととなりがわかったほうがよい。こうやって当初の目的を忘れていくんだなあ。

・・・。

 

さて 

今日は「完全数の日」について書くと決めていた。

6月に入り、先日梅雨入りも発表されている。ゴールデンウィークを過ごした実感も遠くなり、5月病的なもやもやをやり過ごすためにカレンダーを一枚めくる。極めて規則的な黒と赤の数字が30個のマスの中に並ぶ。

6月は、祝日がないのだ。

よく考えると、2016年に「山の日(8月11日)」が施行されてから、6月だけが祝日のない月となった。これを乗り越えるのは至難の技である。

 

しかし私にとって6月は、1年で最も特別で、大切にしたい日がある。

それが「6月28日」。私は「完全数の日」と呼んでいる。

 

年に一度の「完全数の日」

数には、偶数や奇数、約数や倍数、素数、平方数など、法則ごとにさまざまな呼び方がある。

完全数」も数の呼び方の一つである。

そして、6月28日の「6」と「28」は完全数である。英語で言うとperfect number。なんともかっこいい響き。洗練された感じがする。

 

なぜ特別なのか

なぜ、私にとって完全数が特別なのかというと、それは完全数の「少なさ」に由来する。

6、28と順調に現れたかと思えば、3番目の完全数には496まで出会えない。4番目は8,128。5番目は33,550,336。なんてことだ。理解の領域を超えている。

また、無限に存在するかどうか証明されていないということも心を惹かれる理由のひとつかもしれない。

 

「完全」を冠するこの日、私は自分が何をしても自分を認められる気がする。

誰かと会ったりどこかに行ったりして彩りのある一日にすることはもちろんよいけれど、日中を寝て過ごしたり、大きな失敗をしてしまったり、何かをしたと書けることがなくてもいい。

 

何をしてもいいし、何もしなくてもいい日。

 

これが、私の完全数の日の過ごし方である。毎日、何かに追われるように過ごしたり、目標を探しながらもがいていたりすると、自分を鼓舞し続けてどこかで疲れてしまう。

 

祝日のない6月は、そんな自分を一日くらい許してあげよう。そんなふうに思うのだ。

 

完全数」の法則

完全数」とは、ある数の約数の和(合計)がその数にぴったり一致する数のこと。

たとえば「10」について考えてみる。

10の約数は1,2,5,10。

10の約数の合計は、1+2+5=8なので、10に一致しない。

※約数のうち、もとの数(ここでは 10)は数えない。ちなみに、10のように約数の合計がもとの数より小さければ「不足数」、大きければ「過剰数」といい、全ての数はこの「不足数」「過剰数」「完全数」のどれかで表せる。

 

この方法で、「6」と「28」が完全数であると言える。

 6=1+2+3

 28=1+2+4+7+14

 

法則はやや複雑だけれども、この約数を使う方法によって名付けられた数字は結構ある。

完全数のほか、「不足数」「過剰数」「友愛数」「社交数」など。このうちの、「友愛数」についてはいつか書きたいと思っている。

書きました:2月20日の「友愛数の日」に考えたこと

2018. 2. 26更新

 

完全数」が特別なもうひとつの理由

先の方法によって完全数は求められるが、完全数を表せる等式が他にもある。

それは、1,2,3...と連続する整数の和(合計)で表す方法。

 

 「6」については明快。

6=1+2+3

 

「28」はどうか。

28=1+2+4+7+14(約数)

28=1+2+3+4+5+6+7(連続する整数)

  

ちなみに、

496 → 1から31 までの整数の和

8,128 → 1 から127 までの整数の和

33,550,336 → 1から8,191 までの整数の和(ひえぇ)

 

と表すことができる。

何が言いたいかというと、名前の付いた数字は、当初の定義から派生していろいろな法則を持っている場合が多いということ。

今回は割愛するけれど、三角数や六角数、連続する奇数の立法和などなどなど。

 

それらの法則、数同士の共通点のようなものを見つけるほど、特別感が増すように思う

 

まとめ

・6月28日は「完全数の日」

完全数と呼ばれる数字は少なく、無限に存在するかどうかわからない

・年に一度の完全数の日は、何をしても(何もしなくても)自分を許してあげる日

 

今年の完全数の日、2017年6月28日(水)は平日なので仕事がある。

けれども、特別感に浸りながら穏やかに過ごす一日にしたいなと思う。

 

日々をストックするために「書く」

久しぶりに140文字より長い文章を書くためにスマホではなくパソコンの前にいる。

閲覧数が1桁のブログを最後に更新したのは2014年7月で、同年2月にFacebookを始めたことを考えるとその移行にも納得。

タイトルを考えることがとても苦手なのだ。

ある日面白いことに遭遇したとして、ブログを書こうと意気込む。使う言葉を考えながら「よし、こんな感じに書こう」と思っていざパソコンに向かう。一番最初の<タイトル>という空欄を見て頭が真っ白になる。キャッチーな言葉がひつよう?この記事をひとことで表す絶妙なキーワード?あれ、そもそもこの記事は誰が読むんだっけ?

この辺りまで思考が淀んだ頃、面白さとの遭遇を楽しみたい気持ちをわずかに残しつつ、先の意気込みは鎮火する。

 ・・・上記を数回繰り返し、閲覧数1桁のブログは投稿数0回のブログになった。

 

そんな私がなぜ新調してまでブログを始める気になったかと言うと、友人のつながりで出会った同い年の女の子がきっかけである。

小さい時から文章を書くことが好きだった彼女は、「書くこと・発信することは良いこと」と私に教えてくれた。毎日生きていると日々が流れてしまうから、それをストックする、とも言っていた。

 

この「ストック」という言葉がすんと音を立ててぴったり手の中に収まってきた。

 

誰かに見てもらうことを前提にするとそれだけで仰々しく、だからタイトルを考えるためだけに何時間も費やしてしまったけれど、自分が好きだと思ったことをストックしていると思えば自然に手が動く。

そういえば、何かと忘れっぽい私は高1のときから毎年手帳を買い、スケジュールに止まらず、残しておきたい言葉や出来事を書き溜めていたし、小さな「ストック」をしていた。ならばぴったりかもしれない。

そんな気楽で前向きな心持ちになったので、初めてみる。

 

お題は、生活の中で心が弾むこと。とくにこれら。

幾何学模様、123、カレンダー

②文字、言葉、外国語

③色、デザイン、かたち

 

つぎに書くのは、数字のはなし。